今日、感じたことと考えたこと・・・『かがみの孤城』を読んでから。
少し遅くなりましたが、今年の本屋大賞に選ばれた「かがみの孤城」を読んで・読書感想文にしてみて感じたこと、考えたことをちょっぴり書こうと思います。
去年は確か、読書感想文は「銀河鉄道の夜」(短編集)の中の何かで書いたと思うのですがうまく書けず。今年は面倒くさい~と思いながらもなんとか書いて、コンクールに出品してもらうことができました。
まず、
私が本を読むときに大切にしたいと思っていることは、
それぞれの登場人物が、このときどんな風に思っていたんだろう、考えていたんだろうと想像しながら読むこと
です。なんだか当たり前のような気もしますが、やってみると意外と難しいです。自分のことのように考えられるようになるまでかなりかかりました。
主人公の気持ち、そして主人公の相手している人物・・・友達でも敵でもどんな人物でも・・・の気持ちをそれぞれの視点で考えてみると、ちょっとおもしろくなってきます。
物語であれば、ちょっと苦手~と感じる文体や内容であっても読みやすくなると思います。
「かがみの孤城」の主人公は、中学一年生になったばかりの安西こころという女の子です。
この作品は、前回の記事でたまたま書いた、「不登校」をテーマ(?)にした作品です。主人公のこころ以外にも、不登校の中学生たちが六人、登場します。
彼らはともに、とあるミッションをクリアすべく、一年間のあいだ、例の”かがみの孤城”への出入りを許されます。
・・・という内容の話です(大まかに言うと)。
彼らは例のその”城”で一年を過ごすことになります。
もちろんその一年には、様々なことが起こるわけです。集団生活につきものの、いがみ合いやら何やらもたくさん起こります。もちろん楽しい事だってたくさんあるのです。いろんなことを通して、七人はだんだんと成長していきます。
ちょっと話題はそれるかも知れませんが・・・最近、学校ではやたらと「いじめ」をなくそう意識が高く、「みんな明るく、元気良く」過ごせるようにと、アンケートを行ったり集会を行ったりしています。
けれど、少し、「みんな明るく、元気良く」に囚われ過ぎではないかと思うのです。
学級会や校内レク、全校行事などでは、しばしばそれを思い起こさせるような内容・ルールのゲームや、遊びをします。行事や生徒会のスローガンだってそうです。良く考えればほとんど「みんな明るく・・・」と同じようなことを言っています。
みんなが明るく、毎日を楽しく生きることはとっても大事だと思いますが、その「みんな明るく~」で、生徒、児童たち一人ひとりの個性が殺されてしまっているような気がするのです。
もちろん、日本の文化は協調性を重んじるものですから、それが普通といえば普通なのかも知れません。それでも、個性を消したり隠したりしてまで、全員が「元気で、明るい」集団を作らなくてもよいのではと思ってしまいます。
私の友達にも、とてもにぎやかで元気のいい子と、それとは真逆で、いつもおとなしくて静かにしている子とがいます。どちらとも言い切れない、中間的な性格の子もいます。
本当にいろいろな人たちがいるのに、わざわざひとまとめにしなくても良いと思います。
にぎやかな子はにぎやかな子で、静かな子は静かな子でそれぞれ、良い所はどちらにもたくさんあるのですから、「良いのはこれだ」と決め付けずに、みんなを認めてあげてほしいです。
何にしても、人と関わっていくのに、いざこざはつきものです。私も、喧嘩だってたくさんしました。それはどうしても避けられません・・・。けれど、この本を読んで、やっぱり失敗したり嫌な思いをしたことも良い経験になるのだな、ということを改めて実感しました。思ってみれば私もそうでした。
小さい頃、友達とあんなに喧嘩をしていなかったら、今頃、他人の気持ちなんか考えずに行動する、迷惑なわがままっ子になっていたに違いありません。
いじめをなくそう、というのももちろんいいことです。それに、事は起こってから後悔するもの・・・あのときああしていたら、こうしていたらと思い悩むことはたくさんあります。
けれど、そのようなことや、他人と何かトラブルがあったことなどの経験を通して、結局、成長できるものだと思うのです。
この本で取り上げられている「不登校」の方々についてですが、私は不登校、ということに対して、そんなに悪いイメージは持っていません。いじめ、についてもです。(これは度が過ぎるケースもかなりあるようですが)。
もし不登校になってしまっても、学校を卒業してから、自分は不登校になってしまって、ちょっと残念なこともあったけれど、こんなことが学べたな、と思えれば、それで少しでも自分が成長できたと感じたのならそれで良いんではと思っています。
また、いじめについてですが、もしいじめた側の方が、相手を傷つけてしまった・・・と後悔することがあっても、それでまた何か考えることがあり、自身が成長できるのだと思います。あとになって、そのような経験が、知らずのうちに役に立つときがあるかもしれません。
最後のほうに、こころがそのとあるミッション、というかお題、をクリアするのですが、ここで、こころは他の六人のこれまでの生い立ち、暮らし方を知ることになります。
私はここで(読み終わってから自分でも驚きましたが)、身の周りすべての人、ものにストーリーがあるのだな、ということに初めて気がつきました。
世の中には、自分と全く違う環境で暮らしている人や、自分と全く違う習慣を持っている人が、たくさんいるのだということ。こんな当然のことを、私は本当は知っているようで知らなかったのです。冗談抜きで本当に驚いてしまいました。
このことが分かってから、ちょっとばかり、ものごとの許容範囲が少し広がったような気がします。(といってもまだまだ私の世界は狭いのですが。)
自分とあの人の「当たり前」は、違うかもしれません。
ものごとの感じ方や捉え方が、全く異なるかもしれません。
でも、その人を「そういう人なんだな~」と認めてあげられると、上手くいくようになると思います。
私も、以前、学年にいる友達を、偏見の目で見てしまっていることがかなりありました。おそらく、周りの人たちが、「あの人って○○だよね」などと噂のように影口を言っていたことに、影響されてしまったのだと思います。
そう言っている友達に、「でも、○○なとこがいいよね~」という風に返して上げられるといいなぁと思っていますが、まだまだ、以前のような物の見方の悪い癖が直りきりません。
これから先に、いろんな人との出会いがあると思いますが、いつもその人のことを少しでも理解して接してあげられるようになりたいと思っています。